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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)6423号 判決 2000年9月20日

当事者

別紙当事者目録のとおり

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告らが,被告に対し,雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は,原告らに対し,平成9年6月以降,毎月25日限り,別紙賃金一覧表<略>記載の各金員及びこれに対する各支払日の翌日から各支払済みに至るまで年6分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は,被告の専属の下請会社である関西航業株式会社(以下「関西航業」という。)の元従業員であり,大阪空港事業労働組合関西航業分会(以下「分会」という。)の組合員である原告らが,関西航業の事業閉鎖に伴い解雇されたことから,実質上の雇用主は被告であったこと(関西航業の法人格否認),被告が原告らの雇用保障を内容とする労働協約を締結していたこと,原告らと被告との間には黙示の雇用契約が成立していることを主張し,被告に対して,従業員たる地位を有することの確認と右解雇後の賃金の支払を求めた事案である。

一  前提事実(いずれも当事者間に争いのない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実である。)

1  当事者等

(一) 被告(以下「OAS」ともいう。)は,航空機の地上誘導,航空貨物・手荷物の受渡し,航空機客室清掃,タラップ車等の運転等(以下,これらの業務を「グランド・ハンドリング業務」という。)を目的とする資本金1億5000万円の株式会社である。

被告の筆頭株主は全日本空輸株式会社(以下「全日空」という。)であり,その業務内容も主として全日空及びその関連航空会社のグランド・ハンドリング業務である。

(二) 関西航業は,航空機の貨物,手荷物,郵便物の搭降載業務,航空機客室の清掃業務等を目的とする株式会社である。同社は被告からグランド・ハンドリング業務の一部を下請していたが,平成9年5月20日に事業を閉鎖し,その後解散した。

(三) 原告らは,関西航業に雇用され,大阪国際空港(以下「大阪空港」又は「伊丹空港」という。)内において,全日空機のグランド・ハンドリング業務に従事してきた者である。また,原告らはいずれも大阪空港事業労働組合(以下「OAS労組」という。)の組合員であり,その分会に所属する。

2  関係会社及び被告

(一) 全日空は,かつては,航空機のグランド・ハンドリング業務を自ら遂行していたが,昭和35年10月に設立された国際空港事業株式会社(以下「IAU」という。)に機体外清掃を業務委託して以降,グランド・ハンドリンク業務の外注化を推進し,昭和40年4月に設立された被告に右業務のうち大阪空港及び福岡空港関連のグランド・ハンドリング業務を業務委託した。被告は,昭和44年に設立された帝国美装(現商号は帝国航業株式会社であり,以下単に「帝国航業」という。)に航空機体水洗業務を業務委託し,昭和48年4月に設立されたアトラス事業株式会社(以下「アトラス」という。)及び同年11月に設立された関西航業に対し,貨物・手荷物等の航空機への搭降載業務の一部を委託した。

(二) 昭和39年に,IAU従業員によって労働組合が結成され,昭和41年12月5日には被告従業員によってOAS労組が結成された。また,昭和47年11月には,OASの臨時従業員によって労働組合(以下「OAS新労組」という。)が結成された。そして,関西航業においては,昭和51年11月28日,同社従業員によって分会が結成された。なお,OAS労組には支部として大阪支部及び福岡支部があり,分会として関西航業分会があるほか,出向組合員をも組織しており,平成8年11月における組合員数総数は759名,うち分会組合員は76名であった。その上部団体は,日本民間航空労働組合連合会(以下「民航労連」という。)である。

3  アトラスの業務承継及び団体交渉議事録作成

(一) アトラスは,昭和57年ころに経営が行き詰まって破綻状態となり,同年11月には同社代表取締役矢野が失踪して一時連絡が取れない状態になった。その後,アトラスは昭和58年10月6日,被告に対し,被告との業務請負契約を同月15日付けで解除する予定である旨を通知するとともに,従業員の雇用を関西航業に依頼した。

(二) そこで,被告,アトラス,関西航業の3者の間で同月7日以降協議が持たれることとなり,また,被告はOAS労組に対しても労使協議会の開催を申し入れた。そして,その後,アトラスと被告との業務委託契約関係の処理,アトラス従業員の雇用問題等(以下,これらを総合して「アトラス問題」という。)について団体交渉が開催されたが,その過程で,被告は,関西航業に対してアトラス従業員の受入れを要請し,OAS労組は,被告によるアトラス従業員の直接雇用(以下,他社従業員を被告において雇用することを「直用化」という。)を求めたが,被告はこれを一貫して拒否してきた。その後の数次の団体交渉を経て,同月19日,OAS労組と被告は,アトラス従業員を関西航業へ移籍し,被告は関西航業を資金面で支援していく形でアトラス問題の解決を図ることとし,これを団体交渉議事録という形式で文書化することを合意した。そして,同月24日ころ,「関西航業(株)を『第2のアトラス』に絶対にしないことを確約する。そのためOAS(株)として関西航業(株)へ契約・資金調達面で全面支援して行く。」などと記載された「団体交渉議事録」(<証拠略>)が作成され,被告においては労務担当取締役島畑康夫が,OAS労組においては書記長長尾真人が署名押印した(以下,この議事録を「本件議事録」という。)。

4  関西航業の業務

関西航業が被告から受託していた業務は,(1)手荷物の仕分け(一部),(2)手荷物の機体までの搬送,(3)手荷物のバルク及びコンテナ搭載,(4)貨物のバルク搭載,(5)客室の夜間清掃,(6)郵便仕分けである。

(一) 手荷物の仕分け

関西航業は,被告から,午前6時から午前10時までに出発する便及びYS11型機で午前10時から午後7時までの間に出発する便の手荷物仕分け業務及び午前10時から午後7時までの間の接続手荷物(ある飛行機から別の飛行機へ運搬される手荷物)仕分け業務を委託されていた。

カウンターでの乗客の手荷物の受託が終了すると,被告のバゲッジ・コントローラー(以下「Bコン」という。)が,奥で仕分け作業を担当する関西航業従業員にカウンターでの受託が終了したこと及び手荷物の個数をマイクで連絡するとともに,ベルトコンベアを通じて作業が終了したことを示すカットボードというボードが流される。関西航業には,手荷物仕分担当のコントローラーは存在せず,Bコンはすべて被告従業員であった。

また,関西航業は,接続手荷物に関しては,被告からその仕分けのみを受託していたのであるが,被告従業員が多忙な場合には,コンテナの手荷物積み込みや個数確認等をも行っていた。

(二) 手荷物搬送

バルク搭載用の手荷物はカート車に,コンテナ搭載用手荷物はドーリー車に搭載して航空機に運ばれる。右各車を運転するのは関西航業従業員(搬送者)であるが,車はいずれも被告の所有であった。

右搬送に当たっては,被告のBコンが搬送者に対し搭載指示票を交付し,搬送者はこれに従って手荷物を搬送し,機側まで向かい,そこで待機している被告従業員に搭載指示票を手渡し,搬送を終了する。

(三) 手荷物のバルク及びコンテナ搭載

(一)(二)記載のとおりの手順により,バルク搭載用の手荷物は機体のバルク室(バラ積みの貨物や手荷物を積み込む貨物室)まで搬送される。関西航業従業員は,被告従業員の操作するベルトコンベア車のベルト部分に乗せ,手荷物をバルク室内に移動させる。他方で別の関西航業従業員がバルク室に上がって,移動してきた荷物をバルク室内に並べていく。右整理作業が終了すると,関西航業従業員はベルトコンベア車の操作者である被告従業員にバルク室のドアを閉めて良いか確認し,了解の返事をもらった上でドアを閉める。ベルトコンベア車を機体に装着,離脱するについて必要な誘導は,関西航業従業員が行っていた。

(四) 貨物のバルク搭載

貨物のバルク搭載については,被告従業員が搬送し,ベルトコンベア車のベルト部分に載せ,貨物をバルク室内に移動させる。関西航業従業員は,バルク室内に待機しており,移動させられてきた貨物をバルク室内に積み込む。

(五) 客室の夜間清掃

関西航業は,被告から,1日の運航を終了した航空機の客室の夜間清掃を受託していた。

機体清掃中,機体を移動させる必要が発生した場合,移動中は清掃を中断することとなるが,その際の指示は,被告の運行部作業員から関西航業作業員に対して口頭で告知してなされていた。

関西航業従業員は作業報告書を作成し,関西航業客室コントローラーがとりまとめて被告の客室コントローラーに提出していた。

(六) 郵便仕分け

関西航業は,委託契約上は,郵便配送車から郵便物を取り降ろしてベルトコンベアに乗せるまでを担当することとなっており,仕分け自体は被告がするべきものとされていた。

この作業は出来高ではなく,作業人数に応じて料金が設定されていた。

5  被告による関西航業への業務委託の解除

(一) 被告の経営環境の変化と合理化の推進

平成6年9月に関西国際空港(以下「関西空港」という。)が開港し,伊丹空港の国際線部門は関西空港に移管し,同空港においては業務分野が拡大したが,その反面,伊丹空港の業務は減少した。さらに,全日空は,平成7年2月,平成9年までの中期経営計画(P-1521プラン)を作成し,その中で「低コスト体制への転換」を目標に掲げ,関連会社に対する要請として業務委託費の切り下げの方針を打ち出した。

他方,全日空は,関西空港開港に対応し,貨物輸出入業務を目的とする関西航空貨物ターミナルサービス(KACTAS),グランド・ハンドリング業務を目的とする新関西エアポートサービス株式会社(NKAS)などを設立し,被告は,そのうちNKASに20パーセントの資本参加をし,同社設立準備のために全日空に従業員2名を出向させた。被告は,関西空港でのグランド・ハンドリング業務を受託することができなかった。

右新会社は,新たに人員を雇用しつつも,被告からの従業員の出向を受け入れ,右出向従業員は,関西空港におけるグランド・ハンドリング業務に従事したほか,新規雇用従業員の教育も担当した。また,右出向に関しては,被告とOAS労組は,平成元年5月16日,出向期間を原則3年間とする出向協定を締結した。

被告は,関西空港開港の前年である平成5年度は約3億4400万円の経常利益を計上していたが,関西空港開港直後の平成6年は2億2500万円,平成7年は640万円にまで落ち込む事態となったことから,平成8年7月に「中期事業計画」を作成し,その中で大幅なコスト削減を打ち出し,具体的には従業員の転籍や希望退職を募集した。被告には,平成8年11月当時,815名の実働従業員がおり,うち伊丹空港,福岡空港における被告本体に勤務する従業員は478名であり,NKAS等に出向していた従業員は328名であったが,被告は,右の当時,OAS労組に対し,団体交渉の席上で,伊丹,福岡における被告本体には約50名程度の余剰があると説明した。そして,最終的には316名(うち被告本体からは138名)の従業員が希望退職に応じた。

その後,被告の経常利益は平成8年は9800万円,平成9年は11億円にまで回復した。

(二) 委託契約の解除及び関西航業の倒産

被告は,関西航業に対し,平成8年10月18日,国内線搭載業務及び国内線手荷物業務の委託契約を平成9年3月31日をもって解除する旨の意思表示をした(以下「本件解除」という。)。関西航業は,その業務のうち約6割が右委託業務で占められていたことから,同年4月以降,経営が行き詰まり,被告に対して支援の要請をしたが,受け入れられなかった。同年5月19日,関西航業は,同月20日をもって事業を全面的に閉鎖し,原告らを含む全従業員を解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

二  争点

1  被告と関西航業の法人格の実質的同一性の有無(関西航業の法人格形骸化)

2  被告による法人格の濫用の有無(不当労働行為目的)

3  本件議事録確認が雇用保障を規定する労働協約であるか否か

4  黙示による労働契約の成否

第三争点に関する当事者の主張

一  争点1(法人格の実質的同一性)について

(原告らの主張)

1 関西航業の設立目的

(一) 関西航業は組合対策を目的として設立されたものである。IAUにおいて,昭和39年12月25日,IAU労組が東京の事業所を中心に結成されたが,IAUは昭和40年4月,その組織化が大阪に及ぶことを恐れ,大阪以西の運行支援業務をIAUから切り離す形で被告を設立した。ところが,被告従業員は,昭和41年12月,OAS労組を結成し,昭和43年夏季以降,ほぼ毎年の春闘,夏季闘争,年末闘争ごとに全面ストライキ権を確立し,現に昭和46年春闘では6時間の全面ストライキを実施するなどして激しい闘争を展開した。そのため,被告は,OAS労組を嫌悪し,臨時従業員を増加させて同労組の組織率と影響力の低下を図ったが,臨時従業員がOAS新労組を結成し,OAS労組と共闘する姿勢を示したことから,OAS労組の影響力を低下させる目的で臨時従業員に形式的に別法人たる関西航業を設立させたものである。

2 関西航業の実体

(一) 関西航業の初代代表取締役であった松田陸男は,被告の臨時従業員として単純作業に従事してきた人物であり,会社設立のための資金も経営能力もなく,自力で会社を設立,経営することなどできるはずがなかった。松田陸男は,スト破りを行うなど,反組合的言動をしてきた者であったところ,被告の組合対策に協力するため関西航業を設立し,被告の専属下請業者となったもので,実権は何もなく,被告の傀儡にすぎなかった。

関西航業設立当初の取締役,監査役合計7名のうち,高比良以外の6名はかつて被告の臨時従業員であった者である。

(二) 関西航業は,被告の専属下請関係にあったが,被告以外から業務委託を得ることは極めて困難であり,その意味で関西航業は被告に生殺与奪権を握られており,被告の支配性は絶対であった。

(三) 関西航業は航空機への貨物の搭降載を業務とするものであったにもかかわらず,空港構内で営業を行うために必要な空港管理規則による空港事務所長の承認を有さず,被告から一部業務の委託を受けるという形でのみ空港内での営業ができたにすぎない。

(四) 関西航業は,その受託業務を遂行するための器材を有さず,被告の作業現場で被告所有の器材を使用して業務を行い,また,業務も,被告の指示監督を受けて行っており,単なる人出し稼業にすぎず独立した請負業者としての実態はなかった。

資金関係においても,被告において,委託業務の単価を据え置くなど価額を自由に決めており,関西航業の帳簿を閲覧し,関西航業からの収支報告を受けるなどし,その経営を支配していた。

(五) 労使関係

被告は関西航業の労働者の労働条件についても決定しており,関西航業は,実質的な決定権を有しなかった。被告は,OAS労組との間の労使交渉において分会と直接交渉し,関西航業従業員の労働条件を実質的に決定してきたのである。

(被告の主張)

1 関西航業の設立経過について

関西航業は,組合対策のために設立されたものではない。関西航業は,初代代表取締役松田陸男及びその他の被告臨時従業員が自ら下請事業を起こそうとして設立を企図したものである。同人らが被告に対して業務の一部下請を要望したのに対し,増えすぎた臨時従業員の将来の処遇に苦慮していた被告がこれに協力したというのが,関西航業設立の経緯である。したがって,OAS労組の労働運動と関西航業設立とは関係がない。

2 関西航業の実体について

(一) 関西航業は被告が松田陸男に持ちかけて設立されたものではない。被告が関西航業の設立資金の援助をしたことはなく,役員の派遣もしていない。その設立の経緯は前述のとおりであって,松田陸男が被告の傀儡であるという事実はない。

(二) また,原告らは関西航業が被告以外からの業務委託を得ることが困難であるとして絶対的な支配関係があったというが,被告が関西航業に発注していたグランド・ハンドリング業務については,代替性のある業者が多数存在するというものではないから,原告ら主張の事情だけで被告の絶対的な支配があるといえるものではない。仮に被告が取引関係において関西航業に有利な地位にあったとしても,それだけで被告が関西航業を支配していたとはいえない。

(三) 関西航業が被告から一部業務の委託を受ける形でのみ空港内での営業ができたというのは事実に反する。関西航業は,被告と連名で構内営業権を取得していたものである(ママ)

(四) 関西航業に独立した請負業者としての実態がなかったとの主張は否認する。器材については全日空所有の物もあり,関西航業所有の物がなかったわけではない。関西航業は被告との業務委託契約及び両者間の協議に基づいてその業務を行っていたものであり,全日空の経営方針に従い被告が注文者として必要な監督は行ったものの,関西航業の独立を失わしめるほどのものではない。また,被告が委託業務の契約単価を据え置いたのは,被告が全日空から受託した業務の契約単価が据え置かれたためやむを得なかったもので,関西航業はあくまで独立の企業として経営努力の余地はあったはずで,このことから被告が関西航業の経営を支配していたとはいえないし,被告が関西航業から収支報告を受け,計算書類の提出を受け,帳簿閲覧等をしたのは,空港管理規則に基く(ママ)義務ないしは責務保証をしているために最低限の措置として行っているものにすきず,被告の関西航業に対する支配を基礎づけるものではない。

(五) 関西航業の労働者の労働条件を被告が決定したことはない。また,被告とOAS労組との間の団体交渉において,関西航業の従業員の労働条件について交渉,妥結したこともない。

ただ,労働組合は,使用者に対し,下請業者,取引業者等に対して「影響力の行使」「指導」を要請する傾向があるところ,使用者としては,そのような要請をされた以上は何らかの対応を余儀なくされ,団体交渉を有利に進めるため,これに言及することがある。被告とOAS労組との関係にこれに類似の現象が一部存在したことを否定するものではない。しかしながら,そのようなことがあったとしても,これはあくまで事実上のものでしかなく,被告が関西航業従業員の労働条件を決定したと評価できるものではない。

二  争点2(法人格の濫用目的)について

(原告らの主張)

1 被告は,OAS労組及び新労組によるストライキが行われた際の代替要員を確保し,同労組の弱体化を図るという不当労働行為目的のために,関西航業を設立させ,OAS労組弱体化のために,その後一貫して同労組に対し様々な支配介入,弱体化工作を行ってきた。

昭和51年に分会が結成された後は,同分会の存在が関西航業の設立目的に反するばかりか,被告の委託会社での唯一の分会である上,同分会はOAS労組のなかでも有力な組織であったことから,被告は,関西航業社長松田陸男又は同松田伸二を通じて分会がOAS労組から組織的に脱退するよう工作を行った。これら被告の不当労働行為の存在は,別表<42ページ以下>「原告らの主張」欄記載のとおりである。

また,全日空と被告による組合攻撃は,昭和60年代に入り,全日空の合理化計画による経営政策の実施とともに再び顕在化,活発化してきた。

全日空は,中期経営計画(P-1521プラン)に基づき合理化を推進する中で,合理化,労働条件の低下を推進するために,全日空ないし被告と協調する労働組合の育成,闘う労働組合の弱体化を図るという労働組合対策を強化し,その労務政策を関連企業に徹底するように指導してきたが,その矛先は活発な組合活動を展開してきたOAS労組に向けられた。

かかる状況下で,昭和63年以降,被告は関西航業の受託業務を引き上げ,帝国航業や被告へ業務を移管し,平成6,7年の契約一部解除により,関西航業は平成7年以降単年度赤字となった。これら作業量の減少によって関西航業の人員数は,平成5年ころには正社員122名,アルバイトが133名いたのが,平成8年には正社員が80名,アルバイトが66名に減少した。このように関西航業の作業量及び従業員数が減少するのと反比例するように帝国航業における業務量は増加したのであるが,このような被告の労務政策の決定的な動機は,下請のなかで唯一存在していた関西航業分会を嫌悪してその組織弱体化を図るところにあったのである。

2 全日空及び被告が関西空港開設に伴い,そのグランド・ハンドリング業務を目的とする新会社を設立したのは,関西空港には伊丹における労使関係を持ち込まず,新たに伊丹よりも劣悪な条件で就労させる目的でしたものである。

被告は,右新会社に対する出向をめぐる労使交渉において,OAS労組に対し,「関西空港も被告の職場である。」と説明し,出向はローテーションによって行い,雇用不安を生じさせないことを明らかにした。

3 被告は,その後転籍や希望退職の募集を強行し,200名の予定のところ約290名の者が応じたが,伊丹の航空各社の中で,人員配置の変更を超えて下請会社の企業閉鎖を含む大規模な人員整理を強行したのは全日空系列のみである。

その真のねらいはOAS労組の弱体化にあったことは明白である。

被告における希望退職等に応じた従業員が約100名も上回ったのであるから,関西航業に対する業務委託契約解除はもはやその必要性がなくなった。また,被告は,他の下請業者である帝国航業などに対しては業務委託契約を解除せずに,関西航業が行っていた業務を帝国航業に委託したが,同社では,人員不足のため,急遽アルバイトを募集するなどの対応に追われ,関西航業の熟練労働者を失ったため,多くの事故やトラブルが発生するという事態も生じている。

関西航業は,被告の下請会社の中で唯一OAS労組の分会が存在する会社であり,しかも分会はOAS労組の中でも有力な組織であった。分会の存在は,下請単価の更なる切り下げの障害となっていたのである。被告は,分会をOAS労組の組織弱体化攻撃の最大目標として,分会の組織ごとの脱退工作を行ったが,同分会がこれを拒否したことの報復として,分会の壊滅を目的として,関西航業への業務委託契約の解除を強行し,関西航業もろとも分会を壊滅させたことは明らかである。

現に,関西航業代表取締役社長松田伸二は,平成8年3月26日付けの分会委員長宛の書簡の中で,受託業務を解除されたのは強い労働組合(OAS労組)があるからだという被告からの示唆について言及しているのであり,被告の不当労働行為意思は明白である。

4 被告が合理化を推進する過程で,受託業者の中で切り捨てられたのは唯一関西航業だけであったが,これは以下のとおり,OAS労組弱体化・関西航業分会の壊滅という不当労働行為目的が動機となっているものである。

(一) 被告は自らの行為で関西航業の業務を減少させたのであるから,業務量の減少を口実として関西航業との契約解除をすることは許されない。

(二) 昭和63年に全日空が国際線に進出し,伊丹空港における国際線貨物のグランド・ハンドリング業務が生じることとなったが,その際も別会社を設立し,被告が20パーセントの資本参加をした。被告は同社に社員を出向させることとしたが,被告においてはそれまで出向制度はなかったため,労使間で出向協定が締結された。この出向協定は,新規事業の開始にあたって新会社が設立された場合には,出向という雇用調整によって要員運用を図るということを念頭に置いた協定であった。

関西空港開港前後の団体交渉では,関西空港開港にともなう伊丹での一時的人員余剰については,出向により人員調整するというのが会社の回答であり,希望退職や転籍などの方針を否定していた。

したがって,関西空港開港後,3年も経過しない段階で,出向解除及び転籍や希望退職などという新たなリストラ策を導入するのは,当初の会社の説明からは著しく逸脱し,労使合意に違反するものである。

(三) 被告は一貫して黒字経営を維持してきたところ,関西航業に対して業務委託契約を解除したのは,平成8年10月18日であるが,そのころには,既に経常利益が約9800万円となっており,関西空港開港によって,被告に会社経営上の危機などは一切存在しなかったのである。

(四) 被告は,平成8年7月16日の団体交渉において,中期事業計画の一環として,組合に対し,200名規模の希望退職とNKASとKACTASへの転籍を発表した。

結果的に希望退職者は316名となり,要員計画上においても関西航業を切り捨てる必要性は全くなくなったはずである。

被告本社の従業員の適正規模は約430名であったところ,被告本体からの希望退職者が138名も出たために従業員数が349名となり,適正人員を80名も下回ることとなった。そこで,被告は,希望退職者の慰留や出向者の復帰を早め,緊急の対策を迫られることとなったが,その時点で初めて出向者を復帰させることを決定したのである。

平成8年10月18日付けで解除通知はなされたが,解除が発効する平成9年3月末日までの間に,被告が解除の根拠としていた事由は消失しており,契約解除を強行する必要性は全くなかった。

(五) 昭和58年の本件議事録には,関西航業を第2のアトラスにしない,契約や資金面で全面的に支援していくという合意があったが,本件契約解除は,労使間合意に反する不当労働行為でもある。

5 このように被告には,関西航業に対して契約を解除しなければならない合理的理由は見出しがたく,むしろOAS労組の弱体化及び分会壊滅という不当労働行為意思を有していることは明らかである。被告は争点1の原告らの主張において述べたように,関西航業に対する強い支配力を有していたのであるが,これを背景に,関西航業の業務委託契約を解除すれば関西航業がその存立基盤を失い,企業として閉鎖解散せざるを得ない状況であることを利用し,OAS労組弱体化,分会壊滅を企図して,右業務委託契約を解除し,解散に追い込んだもので,関西航業の法人格を利用し濫用したものである。

(被告の主張)

1 不当労働行為に関する原告らの主張に対する被告の主張は,別表<42ページ以下>「被告の主張」欄記載のとおりである。

原告らは,業務の外注化,自社化の全てが専ら組合弱体化の目的でのみなされたかのように主張するが,そのようなことはあり得ない。

バブル崩壊後は,航空業界も需要低迷に直面するとともに,規制緩和,外国航空会社も含めた競争の激化などにより,そのような競争に耐え得る人員体制を確立し,高コスト体質を改善するという意味で,人件費の削減等は避けられない。とりわけ,本件においては,関西空港の開港に伴う伊丹空港の減便による余剰人員の発生という特殊事情があり,会社の事業規模の縮小に伴い,大幅な雇用調整,収支構造の改善は不可避であり,かかる状況下で,外注の見直しは必要なものであった。関西空港におけるグランド・ハンドリング業務の運用をどのようにするかは,発注者である全日空の経営方針に属する事項であり,被告がさしたる影響力を行使できるわけではない。関西空港は,既存の空港と異なり,海上空港として多大な事業費を要したうえ,いわゆる「株式会社方式」という独立採算制を採用するので,空港使用料や空港施設の賃貸料が高額で,航空会社の負担もそれだけ重いものとなっている。このため,関西空港ではグランド・ハンドリングのコストを伊丹空港よりもかなり低く抑えないと航空会社としては採算が取れないことから,最終的には全日空の判断で被告には委託できないと判断されたのである。なお,全日空に限らず,他の航空会社でも,伊丹空港における既存の受託業者ではなく,新会社を設立して,そこに業務を委託する形を採っている。

2 原告らは,委託契約の一部打ち切りを被告の分会壊滅目的に基くものであると主張するが,分会結成後も被告の関西航業に対する業務委託は,関西空港開港までの間は増加の一途を辿っていたのである。

原告らは,分会がOAS労組の中でも「有力な組織」であったと強調し,それ故に被告が分会を組合攻撃の最大目標としたと主張するが,活動面,人数等,いずれの面から見てもOAS労組の主力はOAS労組本体であるから,被告が殊更に分会を敵視する理由はないし,そのような内部事情は被告の知るところではない。そもそも,被告に人数的に圧倒的多数のOAS労組組合員が存在しているのに,OAS労組の弱体化のために関西航業との契約の一部打ち切りという行動に出るはずがない。

そのほか,被告が,関西空港の新会社の立ち上げ期の応援のために被告従業員を出向させたことは事実であるが,新会社プロパーの人材が育てばその大半が使命を終えることは当初から予想されていたことであり,被告が経営方針を変更したかのような主張は事実に反する。昭和63年10月21日付けの協定書(<証拠略>)の第3条3項は,「出向ローテーションによる雇用確保という確認」などではないし,いつまでも新会社への出向の人数枠を確保できるはずがない。むしろ,OAS労組は,基本的に出向に対しては消極的な態度をとり続けており,やむを得ず誰かが出向に行くとしても原則として3年経てば被告に戻すようにと要求していたのである。このような出向政策は新会社の応援というだけでなく,被告の雇用問題の一時的解決という側面も強かったのである。

3 被告が転籍や希望退職の募集を行ったことは事実であるが,これは企業としての存続を図るとともに,できる限り従業員の雇用を確保するための方策であるし,OAS労組との協議を経て実施したものである。

関西空港の開港に伴って大幅な人員整理を行ったのが全日空系列のみであることは事実であるが,それは,そもそも関西空港の開港によって伊丹空港において大幅な減便があったのは全日空のみであったからである。

4 関西航業の業務委託の一部解除の必要性がなくなったとの原告らの主張は事実に反するし,熟練労働者を多く失ったため,多くの事故やトラブルが発生したという事態が生じているとの主張は,ささいなトラブルを針小棒大に主張しているものであり,事実に反する。

5 原告らは,被告が黒字経営を継続したことを指摘するが,出口の見えない長期にわたる構造不況が続き,今後航空業界が「航空ビッグバン」という国際的な激しい競争の中に否応なしに引きずり込まれていくという状況においては,単に単年度で赤字を出さなければ良しとするのではなく,不況の中を生き抜く体力を付けなければならないのである。したがって,経常黒字が計上されたからといって,経営上の危機が存在しないというのは短絡にすぎる。

6 被告本体の適正規模は約440名であること,被告本体からの希望退職者が138名出たことは確かであるが,適正人員を大きく下回ったということはない。また,中期事業計画をOAS労組に提案するにあたって,雇用調整として「転籍者・希望退職者併せて200名位」という方針を発表したが,これは段階的に雇用調整を推進する第一段階としてのものであり,関西航業に対する業務委託の一部打ち切りを前提としたものであった。将来的には350ないし360名の人員削減をする予定であった。

7 委託業務の解除及び関西航業の倒産

被告は,関西航業に対し,業務委託を解除するとの通知をしたが,厳密には,期間満了により業務委託契約の一部が終了すること(契約を更新しないこと)を通知するものである。被告は,自社従業員の大量の雇用調整をしたうえで右一部解除に及んでおり,下請業者の切り捨てと評価するのは短絡にすぎる。

原告らは,被告が帝国航業との契約を打ち切っていないのは差別であるとするが,関西航業と帝国航業とでは,従業員の構成,コストのレベルが全く異なっており,委託している業務の内容もかなり異なっていたからである。帝国航業が人員不足のために急遽アルバイトを募集したとの事実はない。

三  争点3(雇用保障協約)について

(原告らの主張)

1 OAS労組は,アトラス問題に関し,被告に対してアトラス従業員を直接雇用することを求めたが,被告は,これを一貫して拒否し続けた。OAS労組は,昭和58年10月14日の団体交渉の席上において,将来関西航業にアトラスと同様の経営危機が訪れた場合には,被告として関西航業従業員を直用化する意思があるか否かを確認したところ,被告は,直用化は否定したが,関西航業を資金面で援助するつもりであり,第2のアトラスにはしない旨回答した。

OAS労組は,関西航業の将来に懸念を抱いていたので,その後の団体交渉において,関西航業が破綻する事態が発生した場合の被告による関西航業従業員の直用化を求め,同月18日の団体交渉に至って,OAS労組と被告は,関西航業が破綻した場合には,被告が関西航業従業員の雇用を受け入れる旨合意した。

2 OAS労組と被告は,団体交渉における交渉経緯を踏まえ,すりあわせをしたうえで,被告が文案を起案し,同月24日ころ,成案に「団体交渉議事録」と標題を付し,OAS労組書記長長尾,被告取締役島畑が,それぞれを代表してこれに署名,押印した。

本件議事録は,両当事者を代表する者によって署名押印されているので,労働組合法14条所定の様式を満たし,労働協約としての効力を有する。

3 そして,労働協約たる本件議事録の「『第2のアトラス』に絶対にしないことを確約する。そのため,被告として,関西航業へ契約・資金調達面で全面支援していく。」との文言により,関西航業が倒産ないしそれに類する事態に陥り,原告らが被告に対して雇用引受けの意思表示をした場合に,原告らと被告との間において,雇用契約が成立するという規範的効力が発生するというべきである。原告らは,いずれも被告とは直接の雇用関係にはないので,その意味で従来の労働協約の規範的効力の範囲を超えている部分(個々の労働条件にとどまらず,雇用契約の発生,創設を定めているという点において)はある。しかし,関西航業従業員は被告の組織に組込まれ,被告の指揮命令の下に作業に従事していたのであり,関西航業従業員は被告従業員とは実態において何ら異ならない存在であった。以上のような基盤があるのだから,労働契約の発生,創設に関する事項についても労働協約の規範的効力を有し,OAS労組組合員である関西航業従業員が雇用引受けの意思表示をすれば,右規範的効力を享受し,雇用契約が成立するというべきである。そして,原告らは,OAS労組を通じ,被告に対し,平成9年5月26日付け文書(同月27日到達)により,雇用引受けの意思表示をしたのであるから,同月27日付けで原告らと被告との間に雇用契約が成立したものである。

仮に右労働協約には債務的効力しかないとしても,原告らが被告に対して雇用引受けの意思表示をした場合には,被告は信義則上これを拒否できないというべきであり,その結果,原告らと被告との間に雇用契約が成立する。

(被告の主張)

1 被告は,アトラスの経営が行き詰まった昭和57年年末ころ,OAS労組からアトラス従業員を直用化することを求められたが,被告は,下請業者であるアトラスの従業員を直用化する義務はないとして,当初は右要求を拒否した。しかしながら,OAS労組が被告に対して問題の解決を強く要求したので,被告としても,労使関係の悪化を回避するため,事実上の仲介はせざるを得ないとの判断に達した。

アトラスが契約解除を申入れた後のOAS労組との団体交渉の席上において,被告は,一貫してアトラス従業員の直用化はできない旨明確に回答し,関西航業に対しては人的援助は考えておらず,資金面の援助に止めたい旨回答した。

原告らは,昭和58年10月18日の団体交渉で,関西航業が破綻した場合には,被告が関西航業従業員の雇用を引き受ける旨の合意が被告とOAS労組との間で成立したと主張するが,そもそもその当時OAS労組から右のような雇用引受けの申入れ自体存在しなかった。その日の団体交渉では,OAS労組から関西航業を第2のアトラスにしないという話を文書化したい旨申し入れられたが,被告は,すでに右方針はOAS労組の発行するニュースや被告の広報等で明らかになっているので,文書化は必要ない旨回答したのである。

同月19日の団体交渉の冒頭で,OAS労組は,「ともかく(労働者の中から)犠牲者が1人も出なかったことを評価したい。直用化の問題は今後も議論したい。被告の『第2のアトラスにしない。』旨の発言を信じたい。」として,従来の被告への直用化の要求を撤回したので,アトラス従業員が関西航業へ移籍する形での解決案で合意するに至った。その際,OAS労組が,右交渉の経緯について,被告は協定はしない方針であると聞いているので,せめてサインをして1通渡して欲しい,と申し入れたので,被告は,OAS労組の譲歩の姿勢を評価し,円満解決のため,文書の作成を了承したのである。そして,右文書の草案は,文書の体裁から明らかなように,OAS労組が起案したものである。

2 右文書の記載内容は,かなりの部分は被告がOAS労組に対し,事実経緯や今後の成り行きを報告したものにすぎず,「合意」の対象となる事項ではないし,「労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他」(労働組合法14条参照)に該当する記載もない。

また,右議事録には,表題からして「議事録」と労働協約らしからぬものであり,当事者の名称も代表資格も記載されていないし,そもそもこれに署名した長尾及び島畑は,いずれも両当事者を代表する権限がない。その意味で,右議事録は,労働協約としての要件が整っているとはいえない。

3 右議事録作成当時,アトラスの従業員は約70名であった。これに対して関西航業の従業員数は130名以上であり,当時から増加傾向にあった。アトラス従業員の直用化さえ拒否した被告が,たとえ将来のこととはいえ,アトラスの2倍近い人数を直用化すると,被告に対する人件費の圧力は相当なものがあるので,これを約束するなどあり得ない。

本件議事録記載の関西航業を第2のアトラスにはしないことを確約するという文言の意味するところは,関西航業がアトラスの債務を引き受けたため,これによって同社の経営が悪化することがないよう,発注者である被告ができるだけ支援するように関西航業及びOAS労組から求められ,これに被告が応える形で,関西航業に対して「契約・資金調達面」で支援していくという被告の意思を表明したものである。ここにいう契約面での支援とは,業務委託契約において条件的に配慮するという意味であり,資金調達面での支援とは,債務保証の意味であり,いずれも雇用を保障するという意味まで含まない。

4 原告らは,右議事録が労働協約であるとして,その債務的効力を根拠として労働契約関係が成立すると主張するが,一方的意思表示のみで契約が成立することはあり得ず,論理の飛躍である。

四  争点4(黙示の雇用契約)について

(原告らの主張)

1(一) 被告は,全日空との間に航空機のグランド・ハンドリング業務の業務委託契約を締結し,その契約上の義務を履行するために,自社の従業員はもとより,関西航業従業員たる原告らを指揮命令して作業に従事させており,原告らが被告に対して労務を提供し,被告がこれを受領するという関係にあったものである。

(二) 被告と関西航業との委託代金は,昭和54年ころまでは「マン・アワー料金」すなわち関西航業の作業人員と作業時間を乗じた額が基礎とされていた。

その後は,表面上は1機当たりの単価(清掃や搬送の場合),あるいは手荷物1個当たりの単価という形で「委託代金」が決定されることになっていたが,その実態を見ると,当年度の代金は前年度の実績に応じて毎月一定額が支払われ,翌年(当年度末期)の2,3月ころに最終的に支払額の調整がなされてきた。これは,毎年一時金闘争が終わり,当年度の関西航業の人件費総額の見通しが立ったことを受けての措置であった。

したがって,表面上は出来高払の形態をとっていたとしても,実態は関西航業の従業員たる原告らの人件費(労務に対する対価)に関西航業のマージンを加算したものが,関西航業が受けるべき「委託代金」になっていたのであり,実質的に見れば被告が原告らの提供する労務に対して賃金を支払っていたと評価できる関係にあった。

2 原告らと被告との間には,使用従属関係はもとより,原告らが被告に対して労務の提供をし,被告がこれを受領したうえで原告らにその対価として賃金を支払っているのと同視できる事情があるので,原告らと被告との間には,遅くとも平成9年3月31日の時点で黙示の労働契約が成立しているというべきである(なお,原告らと被告との間に黙示の労働契約が成立しているという場合,原告らと関西航業との間における労働契約と二重の労働契約が成立しているという趣旨である。)。

(被告の主張)

1 被告が関西航業の従業員である原告らを指揮命令して作業に従事させていたとの主張は否認する。そもそも,被告と関西航業の間には業務委託関係があったのであるから,被告が債務の本旨に従った業務を遂行させるため,関西航業に対し一定程度の指示をするのは当然であるところ,被告の指示は右の限度を超えないものである。

2 被告と関西航業との間の委託代金の決定及び支払に関し,原告らの主張するのは,原告らの一方的な解釈に基づくこじつけにすぎない。「支払額の調整」については,「当年度の関西航業の人件費総額の見通し」とは全く関係のない話であり,業界の一般的慣行にならったものにすぎない。

第四争点に対する当裁判所の判断

一  争点1(法人格の実質的同一性)について

1  原告らは,関西航業の法人格は形骸化しており,関西航業と被告の法人格は実質的に同一である旨主張するので検討するに,証拠(<証拠・人証略>,原告赤田克彦)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(一) 関西航業は,昭和48年11月15日,航空機の貨物搭降載業務を目的として資本金80万円で設立された株式会社であり,代表取締役は松田陸男が就任した。松田陸男は,被告の臨時従業員であった者であり,設立当初の役員の内,取締役松村弘,同蓑毛吉郎,監査役柏原惺も,被告の臨時従業員であった者である。また,被告の臨時従業員から関西航業の正社員に採用された者が10名程度は存在し,アトラスに雇用された被告の臨時従業員が関西航業に出向することもあった。ただし,関西航業はその従業員の雇用は独自に行い,その労働条件も関西航業において決めており,その配置,懲戒,解雇などの人事管理を行っていた。

被告又は全日空は,関西航業の株式を有していない。また,関西航業が全日空又は被告の株式を保有したことはなく,被告の役員や従業員が関西航業の役員に就任したこともない。

(二) グランド・ハンドリングを業務とする会社は,日本航空,全日空,日本エアシステムの3社に系列化されており,その系列を離れて業務委託関係を成立させることは極めて困難な情況にある。そこで,関西航業が被告以外からグランド・ハンドリング業務について委託を受けることは極めて困難であった。また,大阪空港内で営業を行う場合には,空港管理規則により,業務の種類ごとに空港局長又は空港事務所長の承認が必要であるところ,関西航業は被告と連名で構内営業の承認を受けていたもので,独自の営業権を有しなかった。

(三) 関西航業がなすべき業務に必要な器材のうち,システム端末であるFIS(フライトインフォメーションシステム。就航便の離発着に関する情報に関するテレビモニター式端末),ITV(航空機の離発着の大幅な遅れ,空港の条件変化などの情報を手書きで表示するテレビモニター式端末)などは全日空が所有していたが,その他の機材の多く(CTL車,トーイングトラクター,コンテナドーリー,手荷物カート,キャビンクリーニング車,給水車,汚水車,ベルトコンベア車等)は被告の所有であり,関西航業が所有していた機材は無線機や自転車等であった。

関西航業は,待機所や休憩室についても被告のスペースを使用していたことがあったし,平成元年以降関西航業従業員は被告の保有する2か所の保養所を利用することが認められていた。

(四) 関西航業の従業員数は,昭和63年4月に37名,平成4年7月に243名,平成5年5月には255名にまで増加したが,その後飛行間清掃業務の契約解除等があり,平成8年9月に155名,平成9年5月の本件解雇時には75名にまで減少した。

(五) 従業員の作業については前提事実4に記載のとおりであるが,同じ現場に被告従業員と関西航業の従業員が混在して共同して業務を行う場合もあり,全日空又は被告の従業員による監督や指示を受けていた。ただし,関西航業の従業員の出退勤はそのタイムカードや出勤簿によって関西航業において管理されていた。従業員の賃金は関西航業において支払い,賃金台帳も備えられている。

(六) 被告と関西航業の委託業務代金については,昭和54年ころまでは国際線においては,「マン・アワー料金」として,作業員数と作業時間に応じて支払われ,その後航空機1機当たりの単価又は手荷物1個当たりの単価という形で代金の設定がされるようになったが,郵便物については依然として作業人員に応じて料金設定がされていた。

なお,関西航業は,平成9年3月31日,池田公共職業安定所から,労働実態が労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下「労働者派遣法」という。)に違反するとして是正指導を受けた。

(七) 被告は,昭和56年ころから,関西航業のさくら銀行,三井信託銀行,日本ファクターからの借入れについて保証してきた。保証額は昭和58年には5億3000万円に及んだ。被告は,空港管理規則に基い(ママ)て,関西航業設立当初から,各年度の貸借対照表,損益計算書の提出を受けてきたし,債務保証した後は,毎年決算報告書の提出を受け,収支報告を受けてきた。また,関西航業の事務所において,その帳簿を閲覧したこともある。

(八) 被告とOAS労組との団体交渉においては,分会から選出された中央執行委員2名が出席し,関西航業の夏季一時金,食券制度,全日空保険組合への加入,航空券の発行,夜勤の健康問題等の労働条件についても協議の対象としてきた。

被告は,昭和54年10月の年末一時金交渉において,OAS労組が関西航業,アトラスについても被告と差別なく回答するよう求めたのに対し,指導を約束したし,昭和55年11月の年末一時金交渉においても同様に同日に回答するように指導する旨述べた。

関西航業は分会との交渉について被告の意向を気にしながら交渉することも多くあったが,労働時間等について,被告と異なる労働条件で合意することもあった。

(九) アトラス問題においては,昭和58年10月19日,被告とOAS労組との間で,関西航業がアトラスの担当していた荷物のバルク搭降載を引き継ぐこと,アトラスの従業員は関西航業に雇用されること,アトラスは休眠会社になること,被告は関西航業に契約・資金調達面で全面支援を行うことを合意したが,この団交には関西航業の経営側関係者は,全く出席しなかった。関西航業は当時約1億4000万円の累積赤字を有していたが,アトラスの債務約1億4900万円の全額を引き継ぐことになった。

2  以上の事実及び前提事実に基いて検討するに,関西航業は,法規上要求される人的構成を持ち,その従業員については多いときには200人を超える人員を擁し,これらの従業員を採用し,その配置,懲戒,解雇などの人事管理を行い,賃金を支払っていたものであり,また,経理関係の帳簿も整え,独自の決算を行っており,経理関係は被告と明確に区別されていたし,財産関係についても被告の器材を使用している点はあるものの所有関係に混同があったものではなく,被告とは別個の法人の体裁を有していたものであるところ,被告と関西航業との間に出資関係はなく,役員についても全く交流はなかったものであって,いわゆる親子会社でもなく,被告と関西航業が経済的同一性を有していたということはできない。原告らは,関西航業に独立した請負業者としての実態がなかった旨主張するところ,その業務が被告の業務と混同していたり,被告の指示に基づいてなされており,労働者派遣法に反する旨の指摘を受けたことは認められるものの,それ故直ちに右業務に従事する者が被告の従業員となる訳ではなく,これらの従業員についてもその出退勤は関西航業において管理し,その賃金は関西航業から支払われていたものであって,右事実をもって関西航業の法人としての実体を否定することにはならない。また,関西航業は業務に必要な器材をさほど所有せず,被告の器材を使用していたことが認められるが,その所有関係が区別されている以上,これも被告と関西航業との一体性を意味することにはならない。また,原告らは,関西航業は代表取締役松田陸男が被告の意を受けて設立したもので,松田陸男には何の実権もなく,被告の傀儡であったというのであるが,確かに業態からいって被告が協力しなければ関西航業の設立,存続は困難であったであろうということができ,経営基盤もぜい弱な会社で,被告が業務関係においても資金関係においてもはるかに優越した関係にあることが認められるから,被告が関西航業に対して事実上,大きな影響力を行使し得たことは否めないものの,これはあくまで事実上のものにすぎず,被告は関西航業の株式を有したわけではなく,被告の役員や従業員が関西航業の役員を兼ねていたわけでもないから,被告が関西航業を意のままに道具として用いることができるような地位にあったとまではいうことができない。

もっとも,関西航業は被告の専属的下請業者であって,他社から業務を請負うことは困難であり,また,空港内における営業免許の関係,さらにはその借入金について保証を受けていた関係などから,被告は関西航業に対して優越的地位にあり,業務委託量の決定,委託代金の決定については事実上その意向を通すことが可能であったということができるし,関西航業の人事やその他関西航業が独自に決しうる事柄についても事実上大きな影響力を行使することができ,現に労使問題についても指導力を行使してきたことを認めることができるのであるが,これは下請関係にある多くの企業においてもいいうることであって,このような事実上の影響力をもって被告と関西航業が一体であったとか,被告が関西航業を支配していたということはできない。

二  争点2(法人格濫用)について

原告らは関西航業の設立自体がOAS労組及びOAS新労組の弱体化目的に基づくものであること及び関西航業設立時からの,一貫したOAS労組弱体化という不当労働行為目的の下,今回の業務委託契約解除がなされた旨主張するところ,証拠(<証拠・人証略>,原告赤田克彦)によれば欠のとおり認めることができる。

1  関西航業を設立した松田陸男は被告の臨時従業員をしていた者で反組合的な言動をする人物であり,いわゆるスト破りをしたこともあり,関西航業の設立は被告の協力があって可能であった。そして,被告は同時期に設立されたアトラスに関し,「そのときの時代背景もあるが,作業の継続の為,組合対策もあった。」と発言したこともある。

2  OAS労組は,昭和43年夏以降,毎年ストライキ権を確立して闘争を展開し,また,毎年腕章着用闘争,時間外拒否闘争,遵法闘争等を行い,昭和45年の春闘及び昭和46年の年末闘争ではストライキを設定して団体交渉に臨み,昭和46年の春闘では現実にストライキを実施した。また,昭和48年の年末闘争では,OAS新労組と共同してストライキを実施し,その後も昭和49年,昭和50年,昭和51年とストライキを行った。

分会の設立後,分会はOAS労組に執行委員を送り込み,活発な活動を続けてきた。OAS労組は,分会設立後,昭和54年,昭和55年,昭和57年,平成元年,平成6年,平成8年,平成9年とストライキを実施している。

被告は,昭和40年代には,組合のストライキによる激しい闘争方針に対向(ママ)して,組合情報を収集し,職制(班長,主任,係長など)を増加するなどして対策を施してきた。そして,被告は,昭和48年にOAS労組委員長奈良孝文や副委員長の川口静夫に対して脱退を慫慂したことがあり,同年年末闘争後,小池ほかの主任や班長に対して脱退を工作し,右主任や班長は組合を脱退している。被告は,OAS労組が昭和49年年末一時金に関し,同年11月22日ストライキ闘争を行った際非組合員を招集し,ストライキに対応する態勢をとり,その際,非組合員に平均10万円という臨時手当を支給したが,これは,地方労働委員会において不当労働行為と判断された。

3  その後,昭和53年5月には関西航業が黄犬契約及び組合加入者に対する退職強要の存在を認めて謝罪するということもあったが,昭和51年9月13日,中央執行委員の異動について,昭和54年5月15日支部三役の異動について,それぞれ事前に労働組合の同意を求めることを必要とする確認書が取り交わされ,昭和57年10月25日には就業時間内組合活動賃金控除覚書が締結されるなど組合と被告との緊張関係は一時緩和した。しかし,昭和60年代に入り,全日空の合理化計画が実施されるに及び,緊張関係は再度増強することになった。被告は,平成2年12月,労働組合用搭乗優待証の扱いに関する覚書協定の破棄を,平成3年2月,就業時間内組合活動による賃金控除の計算方法に関する覚書協定の破棄を通告した。

松田陸男は,平成3年8月ころ,関西航業顧問の地位にあったが,分会長であった原告赤田克彦(以下「原告赤田」という。)に対し,会社が生き残っていくためにもOAS労組から独立してほしい。」と分会の単組化を要求したことがあり,平成4年3月の春闘争議権投票に際しては,管理職から「現在の労働組合では関西空港,福岡空港西側展開に進出できない」「争議権をたてたりワッペンをしたら全日空から作業がなくなる」などの発言がされた。これらから,組合員の平成4年におけるストライキ反対票は前年の約3倍となっている。関西航業は,平成5年3月にも,代表取締役松田伸二において,原告赤田に対し,分会の単組化を求めて,拒否された。

平成6年には関西空港が開港したことから,これに伴う大阪空港の減便等によって被告は大幅な余剰人員を抱えることとなり,これを関西空港における全日空系列の新会社(KACTAS等)への出向によって解消しようとしたが,OAS労組はこれに反対した。関西航業は,同年6月のOAS労組中央執行委員会選挙に際し,遠近組合員に対し,立候補を勧め,また,同年8月には,分会の専従協定に基く(ママ)OAS労組専従役員申請を上部団体の活動は認められないという理由で拒否したが,松田伸二は,後日これが被告の指示であったことを認めた。松田伸二は平成7年4月の春闘におけるベースアップ回答において「よい回答を望むのであれば,分会を単組化すれば回答できる」などと述べた。

平成7年8月,被告は,中央執行委員の異動について事前に労働組合の同意を求めて実施するとの確認に反して,組合に対する事前通告なく本人に内示し,平成8年3月には,支部三役の異動について事前に組合の同意を求めて実施するどの確認に反して福岡支部の副書記長を異動させた。

なお,全日空労組は従来民航労連に加盟していたが,平成8年3月,これから脱退した。被告には,業務委託会社として関西航業のほか帝国航業そのほか数社が存在したが,その中で民航労連加盟のOAS労組に組織されていたのは分会が唯一であった。

4  他方,我が国の航空業界は,国の保護を受けて発展してきたが,昭和60年以降,規制緩和の流れを受けて航空会社間の営業エリアの固定化の廃止,すなわち,ダブルトラッキング,トリプルトラッキングの拡大,国際線への日本航空以外の航空会社の進出,日本航空の完全民営化などが実施され,また,外国からの航空自由化の要求もあって,国際的な競争力をつける必要もあり,厳しい経営環境にさらされてきた。そしてこれは,航空会社の下請企業に対する締め付けとなって現われざるを得なかった。そして,平成6年9月に関西空港が開港したが,これによって大阪空港における全日空の就航便数は減少し,これに伴ってグランド・ハンドリング業務も減少した。関西空港におけるグランド・ハンドリング業務については,KACTAS等の新しく設立された会社がこれを請負い,被告はこれを請負うことができなかった。被告は,関西空港の開港により,約3割の業務減少を予想していたが,被告の福岡空港における業務受注状況が好調であったことや,平成8年1月の阪神大震災の影響で大阪空港の全日空便の増便があったことなどもあって,被告全体での運行整備業務の取扱い便数は,関西空港開港前である平成5年度の9万0337便と比較して,平成6年度で8万4625便(前年度比約6.7パーセント減),平成7年度で7万8998便(平成5年度比約12.6パーセント減)にとどまった。しかし,営業収入は平成7年度は平成5年度から約30億円減少し,計上(ママ)利益においては,平成5年度が約3億4400万円であったのが,平成7年度は約640万円に減少した。被告は,平成6年3月24日,緊急構造改革を発表し,間接部門の効率化,賃金・雇用形態の見直し,委託業務の効率化等を実施することとした。被告においては,右業務量の減少によって生じた余剰人員を整理する必要があり,その方法として,KACTAS,NKAS,KICへの300名を超える大量出向によって凌ぐことが計画され,組合の反対の中で実施された。

被告会社は,平成7年10月ころ,中期事業計画を策定し,出向従業員の帰社に伴う雇用調整,競争力の強化を図った。そして,平成8年7月16日,中期事業計画を発表した。右計画は,外注委託業務の内社化と転籍者と希望退職者の募集による雇用調整を掲げる。被告は,平成8年7月16日,OAS労組に対し,転籍者,希望退職者併せて200名程度の雇用調整を行うことを発表した。組合は反対したが,被告は転籍者及び希望退職者を募集し,316名の応募者があった。

被告は,外注業務内社化の方針に従い,平成8年10月18日,関西航業に対し,平成9年3月31日をもって国内線の手荷物仕分け・搬送業務,バルク搭降載業務の委託は打ち切り,飛行後各室清掃と早朝メール作業は残す旨通知した。右は業務量の約6割を削減するものであった。

なお,右打切りについては,予め,関西航業と協議しており,バルク搭降載業務は関西航業から打切りを希望した。

5  関西航業の従業員数は,前記認定のとおり,平成5年5月には255名にまで増加したが,その後飛行間清掃業務の契約解除等があり,本件解雇時には75名にまで減少した。また,関西航業の売上高は,昭和57年度に約5億5040万円であったのが,平成5年度に13億8783万円にまで順調に増加していたが,平成6年度から減少に転じ,平成8年度には約7億6000万円となった。

関西航業は平成6年ころから被告から委託業務について内社化を検討中であるとの説明を受け,中期事業計画発表の前にも一部業務の委託打切りについて口頭で説明を受けていたが,これについて特段の対策はとらなかった。関西航業では業務委託打切り後,経営労使協議会を開催して希望退職者の募集などについて協議したが,合意は成立せず,平成8年11月に差押えを受ける事態となり,資金繰りが悪化した。そして関西航業は,平成9年5月13日付けで,被告に対して委託業務を全部返上するという一方的な通告を行い,同月19日付けで,その従業員らに対して同月20日付けで事業閉鎖をする旨通知し,その後解散し,清算結了登記を了した。

6  以上に鑑みれば,関西航業の設立には労務対策の側面があり,被告はOAS労組がストライキを含む活発な労働運動を展開したことからこれを嫌悪し,ときに不当労働行為に及んだことは認められるが,前述のように,関西航業が実体のない会社であるとはいえず,設立以後,右組合の活発な活動の中で存続し,従業員が増加し,業務量も増加した時期もあったもので,被告会社の意のままにその不当労働行為や労務政策の手段として存在してきたものとまではいうことができない。本件の業務委託の打切りは,その委託業務の6割を打ち切るもので,関西航業の存立基盤を損なうものではあるが,関西航業が厳しい経営環境にさらされていたことからすれば,その主たる目的は関西空港開港に伴い生じた人員過剰に基因して社外委託を打ち切ることにしたもので,業務減少が直接の原因であるというべきである。

被告は同じく下請をしていた帝国航業については業務委託契約の打切りをしていないが,(証拠略)によれば,同社に対する委託業務は夜間の機体水洗,飛行間清掃,夜間の大口コンテナの受託等関西航業の受託業務とは異なっており,また,代金については関西航業に比較して低廉であったと認められるので,右事実をもって本件契約解除がOAS労組弱体化の目的に基づくものであるということはできない。

また,原告らは,希望退職者が予定人員である200名を大幅に超える316名であったから,内社化の必要性はなくなったのにこれを実施したのは不当労働行為目的であったことを裏付けると主張するが,内社化の方針を決定したのは,希望退職者を募集する前であり,また,希望退職者が多数生じたとしても内社化の必要性自体が消滅するわけではないから,右主張は理由がない。ただ,予定を上回る退職希望者や,当時の被告の経営状態からすれば,委託業務量の変更等従前の方針を再検討する余地がなかったとはいえないもので,これを行わず,従来の方針を貫いたことには,OAS労組及び分会に対する嫌悪が無関係であったとまではいい切れないものがある。しかしながら,被告が従来の方針を貫いたことに多少の不当労働行為意思が存在しているとしても,業務量の増減自体は被告と関西航業との契約関係の問題であって,法人格濫用の問題ではない。被告が下請企業に対する優越的地位を利用して委託業務量を減少させ,そのため下請企業が倒産に至ったとしても,これは優越した地位を利用したといえても法人格を濫用したものとはいえない。

以上によれば,被告の本件解除が一貫したOAS労組弱体化という不当労働行為目的の下に行われたとは認められず,これを法人格の濫用ということはできない。

三  争点3(雇用保障協約)について

アトラス問題については,昭和58年10月7日以降,被告とOAS労組との間で団体交渉が行われ,OAS労組は,アトラス従業員の直用化を求めたが,被告はこれを一貫して拒否してきたことは,当事者間に争いがない。そして,(証拠・人証略)によれば,昭和58年10月14日の団体交渉においてOAS労組は,将来関西航業にアトラスと同様の経営危機が起った場合には従業員を被告において直用化をするかどうかを尋ねたが,その際も,被告は直用化は無理であると回答しており,さらに同月16日の団体交渉の席で被告は「従業員を引き受ける関西航業への支援は第2のアトラスにならないように行う」と述べてはいるものの,組合からの直用化要求に対しては,「会社としての政策だ。」「OASでは,アトラス・関西の直用化についての考え方は変わらない。」「関西,アトラスとも,OASが直用化の政策がないことを知っている。」と回答しており,翌17日の団体交渉においても被告は「第2のアトラスにせず,経営基盤を確立することが来る人のためである。」と回答していること,さらに翌18日の団体交渉においても組合からの「第2のアトラス経営を作らない事を確約しろ。」との発言に対し,被告は「経済支援会社の理念は団交で明確に言っている。」と回答していることが認められる。そして,同月19日,本件議事録確認を行ったことは当事者間に争いがない。

以上の合意成立の経緯に鑑みれば,本件議事録における「第2のアトラスにしない」との文言は関西航業の経営基盤安定化に向けての被告の支援を指すものというべきであり,そのような理解は,(証拠略)によればOAS労組の理解とも相異していない。してみれば,本件議事録確認が労働協約か否かを問わず,これによって,被告に関西航業従業員を雇用する義務が生じるものではない。被告は関西航業に対する経営支援の約束を破棄したことになり,結果として同社を第2のアトラスにしたわけであるが,だからといって雇用義務が発生するものではない。

四  争点4(黙示の労働契約)について

関西航業従業員の作業実態については,被告と関西航業の従業員が時に混在し,作業時間及び作業内容の面で判然とした区別もない状況の下で,被告従業員の多忙時にはその作業を補佐するなどしていた事実があることは認められる。さらに,昭和54年ころまで,被告と関西航業との委託代金が,国際線においては「マン・アワー料金」であったことは前述のとおりであり,その後郵便仕分け業務を除いては,航空機1機当たりの単価,あるいは手荷物1個当たりの単価という形で委託代金が決定されることになったが,関西航業の収支に占める人件費の割合が90パーセント以上であったことは(証拠略)のとおりであるし,委託代金の決定に際して,被告が作業に従事する人員数も考慮していたことは認められる。

右事実によれば,被告と関西航業従業員との間ではある程度の指揮命令関係があり,受託代金はその労務に対して支払われているとの見方もできないものではないが,被告が特定の作業に従事する関西航業従業員個人を特定して委託代金を決定していたとまで認めるに足りる証拠はないし,前記認定のとおり,関西航業の従業員の出退勤の管理は関西航業において行っており,その採用や配置・懲戒・解雇などの人事管理も関西航業が行っていたのであり,被告がこれらに関与していたと認めるべき証拠は存在しない。

以上の事実によれば,未だ被告と関西航業従業員との間に黙示の労働契約が成立したと認めることはできない。

第五結論

以上の次第で,原告らの被告に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 松尾嘉倫 裁判官 西森みゆき)

当事者目録

原告 赤田克彦

(ほか31名)

右32名訴訟代理人弁護人(ママ) 豊川義明

梅田章二

鎌田幸夫

藤木邦顕

森信雄

豊島達哉

白倉典武

被告 大阪空港事業株式会社

右代表者代表取締役 喜田千秋

右訴訟代理人弁護士 竹林節治

畑守人

中川克己

福島正

松下守男

竹林竜太郎

別表

<省略>

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